Studio Stick(以降S):今日はよろしくお願いします
荒さん(以降A):はいっ、よろしくお願いします!
S:Stickでの個展が決まってから荒さんとお会いする機会が増えて、今日まで沢山のお話をお聞きすることが出来たわけですが、いやぁ・・・真面目なものから笑えることまで実にネタが豊富ですよね。
A:そうですかねぇ?
S:家族でたまーに開催される本気の仮装大会とか(笑)、なかなかありませんよたぶん。
基本的にご家族のキャラクターがものすごく濃いなぁって思います。それに、とても仲が良くて素敵です。
先日いらっしゃったダンディなお父様もとても面白いそうですし。
えーっと、通称「原町のアランドロン」でしたっけ?
A:なんか改めて聞くと「下町のナポレオン」みたいな響きですね(笑)
S:本当はこのような面白ネタも沢山お聞きしたいところですが、それをはじめると今回のインタビュー記事は、ものすごい超大作になってしまいそうなので・・・
残念ですが少し省き気味にいきます!
● 断念は感動へ、感動は勢いへ
S:ではまず染色との出会いからお伺いしたいと思います。
A:はい。まず皆さん高校生の頃に“将来何になるか”という選択を迫られると思うんですけど、私はパン屋か看護士だったんですね。で、まずパン屋に聞きにいったんです。そしたらものすごい早朝からって言われたので諦めました。じゃぁ看護士ってことで、だったら一番良い学校に行きたいじゃないですか。でも手が届かないくらいさびしい成績で…無理でした。
S:・・・なんか決断も断念も勢いがありますね(笑)。
A:はい(笑)。そんなときに、小さい頃から家にあったバティック※の布に目が止まったんです。絵画のような細かい柄がびっしり描かれた布なんですけど、高校3年生の春に初めて感動したんです。あぁこれを作れるようになりたい!と思って。そこからでしょうか。
S:断念の感情が情緒的に・・・。その布はご両親が海外でご購入されたものですか?
A:そうですね。父と母がマレーシアで買ってきたものですが、インドネシアの作家さんが作られたものですね。父はアジアが大好きで、よく行っていたので、バティックの布やアジア・アフリカの人形が日常にあったんです。
S:じゃぁ17歳頃からバティックに魅せられて、そうすると自ずと美大に行く選択肢が生まれるわけですね。
A:そうなんです。よし!と思って女子美を受験して。そしたら女子美の工芸はバティックのカリキュラムがなかったんです(笑)
S:えっ?
A:知らなかったというか調べなかったというか。猪突猛進というか? ははは。
S:すごいですね、荒さんの勢い(笑)
※バティック・・・インドネシアのジャワ島付近で作られる伝統的な文様染め。蝋(ろう)で防染して文様を表した綿布。[大辞泉]
● 勢いはインドネシアへ
S:え、じゃぁ学生生活は楽しくなかったんですか?
A:いえいえ、大学では型染めや糊を使う染色技法を学んで制作していました。とにかく作ることはとても楽しかったですね。そう、でもやっぱりバティックがどうしてもやりたくて。
だからバイトで貯めたお金で、卒業後にインドネシアに行ったんです。
S:お、バティックの本場に行かれた!
A:はい。ジョグジャカルタという古都に、旅行者ビザで2ヶ月だけですけどね。
S:それはどんな場所ですか?
A:バティックの一番盛んな地域で、歴史があって、若い現代アートのアーティストが沢山いて、海外のアーティストも集まるとても活気のある街でした。
S:ステイ先やバティックを学ぶ工房などはどうやって決められたんですか?
A:ステイ先は父の紹介ですぐ決まったんですけど、工房探しは大変でした。
まず移動手段となる自転車を少年から買いまして(笑)、ステイ先で作家さんを紹介してもらったり、その繋がりで定住している外国人作家さんなどを紹介してもらい、自転車に乗って探して訪ねてまわって、1日1日があっという間に過ぎていきました。
S:現地に行って工房を探すって・・・相当大変ですよね。
登竜門的な場所なんかはなかったんですか?
A:あったのかもしれませんが、行けば何とかなると思っていたんですよね(笑)。
でも、あちらではバティックが生活の一部になっていて、普通に主婦の方が制作したりしているんです。だからバティック作家を探しているといっても、作家とお土産もの屋さんと趣味人との認識の差がそこまでなくて「あぁ、あそこの誰さんやってるわよ」みたいになって、ここだという場所を見つけるまでは時間がかかりました。
● 自転車で1時間半の楽園
S:ということは、ここだという場所を見つけることができたんですね?
A:できました。普通の住宅街の一角にあるんですけど、扉を開けるとそこは楽園のようなアトリエなんです。
S:楽園?
A:熱帯植物がニョキニョキ生えていて、その横でチャップ(熱した蝋を型押しして模様を作る方法)の作業をしている人がいて、またその横ではポロロ〜ンとマンダリンを弾いている人がいて、という感じです!
S:はー、そんな工房があるんですか。
A:そうなんです。もうここしかない!と思ってそこにいた人に「ジョブ?ジョブ?」と詰め寄って(笑)。
S:あ、インドネシアは英語?
A:いえ、インドネシア語です。勉強はしてたんですけど、英語もたまに混ざったりして。
でもそこの奥さんがアメリカ人だったので、英語で話すことができたんです。
S:ふむふむ、それで仕事をさせてもらえると?
A:いえ、教えられることは何もないと言われました。でも、一緒に作ることなら出来ると言ってもらえて。
S:じゃぁ通えることになったわけですね。
A:そうなんです。1ヶ月弱くらいの本当に短い期間でしたけど、自転車で1時間かけて通って、朝から晩までいました。
S:素敵ですねぇ。あ、でも工房にいる人たちとはインドネシア語でお話してたんですよね?
A:まぁそうですね。よく「アパ?」って言われてましたけど。
S:アパ?
A:日本語で「ん?」とか「何?」っていう意味です。
S:へー。ちなみにその楽園の名前ってあったりするんですか?
A:ブラマ・ティルタ・サリという工房です。
● ジョグジャカルタの日々
S:ジョグジャカルタでの生活についてもう少し聞かせてください。
A:海も山もあって、朝の散歩がとっても気持ちよかったですね。
あと毎日のように現代アートの展覧会に出かけていました。オープニングでは作家さんと色んな来場者のディスカッションがあるんです。すごい白熱したトークが繰り広げられるんですよ。その後は、その日ポケットにお金のある人が夕食を皆にごちそうするんです。
S:えっ、それはすごい。どういうものを食べるんですか?
A:テンペ(大豆などをテンペ菌で発酵させた発酵食品)のフライとか、コブラとかカエルとか犬とか、甘辛でおいしいんです。屋台で売ってます。犬は牛肉みたいな感じでした。
S:ほほう。とにかくものすごい濃密な2ヶ月だったことは間違いなさそうですね。
A:そうですね、体当たりで飛び込んで、いろんなことをたくさん吸収できたと思います!
「いつもの 夢 蒔いている あなたへ」
193.9×784.7cm
公立藤田総合病院蔵
●風土に合うやりたいことへ
S:その充実した状態で帰国されてからは、どういう選択を?
A:2年半養護学校の美術の先生をさせていただきました。
S:バティックの制作活動をしながら?
A:うーん、それがインドネシアと同じようにはいかないんです。やはりあちらは、風土や気候にバティックが合ってるんですよね。蝋の配合とか乾燥時間とか、色々な条件が重なって生み出される効果というもの、そういう根底にあるものは大事なんだと、すごく思いました。また、仕事がハードで・・・。すごく楽しい職場だったんですけど。
そんななか、ひょんなことから総合病院の壁画を描かせていただくことになったんです。
S:この壁画は染色ですか?
A:いや、縦が約2m・横が約8mとかなり大きなものになるので、アクリルです。
120号を7枚描きました。
S:大きいですねぇ。しかも7枚の絵をつなげてひとつの絵にするって、めちゃくちゃ大変そうですね。
A:そうですね、打ち合わせから納品まで約1年かかりました。病院を訪ねる度に意識が変わりました。それを家に持ち帰って、夜に一気に描くんです。毎日描いているうちに色やかたちが変わってくるんです。
S:描くものが変わってくる?
A:今までは、たぶん無意識に自分の好きなものだけを描いていたんですけど、この壁画を見てくれる人に伝えたいこと、というのを意識的に描くようになりましたね。
S:壁画を染色でなくアクリルで描くことによって、表現の幅が広がったんですね。
A:そうかもしれません。絵を納品して、改めて自分のやりたいこと・描きたいものを考えるようになりました。
S:日本の風土に合ったやり方で。
A:その通りです。
スペシャルプレゼント
●濃厚な卯辰山生活、大事な友人たちとの出会い
S:それが金沢卯辰山工芸工房に行きたいと思うようになったきっかけですか?
A:そうなるのかな。卯辰山工房は、京都と金沢に旅行にいって初めて知ったんです。同じ工房に違うジャンルを得意とする人たちがいるのがすごく面白そうで、ここに行きたいって思って。そしたらちょうど研修者募集の〆切1週間前だったので、急いで応募したんです。
S:なんか導かれていますよね(笑)。で、今度は金沢で3年間を過ごすことに。
A:はい。どっぷり染めの制作をして、一生の友達と呼べる人たちに出会えた、本当に濃〜い3年でした。
S:展覧会にもたくさん出品されて、ご自身で確立された技術を身に付けた3年でもありますね。
A:結局、糊を駆使してオリジナルの染色方法を探っていったんです。不思議なものですね。
S:この期間で、レコメンドリレーのバトンを渡された浅沼千安紀さんとも出会うことになるわけですよね?
A:そうです。彼女とは、共通の友人・ガラス作家の笹川健一さんを通じて出会うことになりました。
S:笹川さんとは卯辰山工房在籍期間が一緒だったんですね。
A:そう、卯辰山2年目に彼の母校である多摩美の芸祭に一緒に行って、その時に浅沼さんを紹介してもらったんです。浅沼さんと笹川さんは同級生で、彼女はその時ガラス研究室に勤務していたので。
S:ほうほう。会った時の印象は?
A:もう全然初対面な感じがしなくて、なぜか懐かしいというか、すぐ意気投合しましたね。
S:うん、彼女は人を引きつける魅力がとてもある人ですよね。
A:卯辰山工房を終了して東京に戻ってきて、バイトと制作活動の日々を送ってたんですけど、自分のアトリエを持ちたくて、浅沼さんと探し始めるんです。
S:それが、浅沼さんのインタビューでも出て来た共同アトリエですね。
A:はい。その中でも常にアトリエにいたメンバーが浅沼さん・笹川さん・私でした。
S:そういう辛い時期と楽しい時期を一緒に過ごすのってすごく親密になるでしょうね。
A:そうそう、暑い時も寒い時も、お互いデリケートな時期も、様子を見ながら乗り越えてきたなー(笑)。
焼きぐり子ちゃん
●バランスとコラボで国民的シリーズへ
S:実に展開し続けている荒さん。現在は女子美術大学の非常勤講師をされています。
そんな荒さんが影響を受けた人っているんでしょうか?
A:んーそうですねぇ、モーリス・ルイスかな。ステイニングというキャンバスに絵具を滲み込ませる技法で抽象画を描いた作家です。制作現場を人に見せなくて、制作方法が謎に包まれてるんです。私も布と染料を素材に、「染み」の表情を研究しているので、ルイスの作品を見たときは衝撃的でした。
S:ほう、どういうところに惹かれるのですか?
A:色彩の美しさと大きなスケール感に魅力を感じます。色の染みの重なりによって出現した色面からは、今まで見たことのない色の世界の普遍的な美しさを感じるんです。
S:なるほど。では次は、今回の個展で出品いただいた独特の作風についてお伺いします。
食べ物を擬人化するきっかけ等はあったんでしょうか?
A:今回のレディシリーズはこちらで個展をする時期をみて、秋から冬の食べ物をモチーフにしたいと思っていたんです。食べ物なら何でもいいわけではなくて、身近な丸みのあるもの、尚かつセリフと形と布の余白のバランスが成立するもので考えました。
きっかけというか・・・いつの間にかスケッチブックの端っこに、何かに顔をつけて会話させたり、叫ばせたりするイラストを描き続けていたかもしれない。
S:無意識が生み出したキャラクターなんですね。今後ぜひシリーズ化してもらいたいです。
A:そうですね、少しずつ増やしていって、やなせたかし的に展開していろんな人に見てもらいたいです!
S:おっ、国民的なキャラクターじゃないですか(笑)。では、最後になりますが、今後の展望についてお聞かせください。
A:今回の個展で、初めてデザインと縫製の協力者・Shas.さんとコラボレーションして、すごく楽しかったんですね。ミーティングを重ねて、かたちにすることの意義というか、自分にできないことをかたちにしてくれて、提案してくれる存在が大きかった。
なので、今後例えば企業や個人とコラボしていきたいという思いは強く持ちました。
S:キャラクターたちの魅力が増す商品作り、面白そうですね。例えば・・・
A:野菜・果物ジュースとか、手土産の要素があるお菓子の包装紙とか。
S:いいですね、パッケージで楽しませる!
A:そうそう! 季節の果物で作った限定お菓子とかね。
S:じゃぁ次回は商品プレゼンテーションも含めた展覧会はどうでしょう?
A:それですね! めざせアンパンマン!
S:アパ?(笑)
A:(笑)
レコメンドリレー展「荒姿寿 染色展」は、
2010年10月23日(土)〜 11月7日(日)Studio Stickにて開催いたしました。
このインタビューは、会期中に1回、その後に1回と、2回にわたって行いました。
リアルタイムで更新できなかったことをお詫び申し上げます。
荒姿寿さんには、今後も色んなかたちで登場していただく予定です。